どこが横顔か分からない |
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太平洋戦争時(台湾は日本の統治下にあった)、台湾総督府鉄道部内に設置された、防空仕様用の作戦指揮所。
*実際の施設入口には『防空洞』(防空壕で非公開)の貼り紙あり
このコーナーで採り上げる建築物には珍しく、①入園料を払って撮影し、②由来がはっきりしている。
- 戦時作戦指揮センター:敷地内の北西側に位置する。1943年に建設され、設計者は鉄道部工務課技手の鳥巣英一で、鉄道部上位の部員の避難先でした。上下二層の鉄筋コンクリート構造で、上層の高さは7メートルで、防弾のため円錐に造型され、外の防護壁は国共内戦に造られました。入り口には防爆の鉄門があります。下層は地下に埋まれ、室内の壁には駅、橋、川、トンネルが描れている台湾鉄道の地図があり、換気口は地面につながっています。
『防弾のみ』に特化しているため装飾性はないが、無駄をそぎ落とす一方で譲れない設計者のこだわりが感じられ、結果的にアートへ昇華している。
また、コンクリートの劣化が非常に少なく、相当吟味された材料を使用して堅牢に建てられた事が推測される。
1910年代の台北駅周辺の雰囲気を再現した鉄道ジオラマ内の模型を撮影。
こうして見ると、円錐形である事が良く理解出来る。
ちなみに、1943年に建てられた物だから、この時代に存在しているのは変だが、深く追求するのは野暮と言うものだろう。
同じ模型を上から撮影した画像。
出入口(西向き/画像では右向き)を正面とみなして、そこから左方向に90°回った方向(北向き/画像では下下向き)を横顔としたが、実際はどこが正面なの横顔なのか分かりにくい。
実際、模型てっぺんの『通気口の向き』も間違っている。
- *正=西向き 誤=北東向き
を向いていて、クレーンへの注目度は極めて低い
漁港の鶴 |
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台湾北部、基隆湾内で最も歴史がある漁港に設置されている荷役用クレーン(元の意味は鶴)。
基隆港は現在、コンテナ船が往来する貿易港としての位置付けが最重要で、大型客船や軍艦の母港としても機能している。
そのため、全体的に灰色、黒、茶色の施設が主流だが、この漁港はSNS映えする観光地化が進んでおり、その中でも異彩を放つ存在がこれだった。
【筆者の疑問】
- どのような経緯でこのペイントの実施が決まったのか?
- だれがデザインしたのか?
- 管理者は、現在の注目度(低さ)に満足しているのか?
このように、推測がつきにくい要素が多いが、また訪れる機会があれば、変化に注目して行きたい。
(もともと飛行機からは見えにくい様、木のそばに設置したと思われる)
防空壕 |
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緑色の自然に還りつつある建築物。
由来を示す解説板などは当然無いがものの、道路を挟んで貨物用の駅舎(樺山駅 のちに 華山駅)が残っていることから、この建築物は太平洋戦争中(台湾は当時日本の統治下にあった)に設置された防空壕と考えて間違いない。
こう言う歴史的背景を持つ建築物をアートとして捉えることは不謹慎かも知れないが、その形状と堅牢性は<爆撃から身を守る>と言う機能のみに特化したデザインの極地でもあり、<当時の必要性>と現在の<不要性>のコントラストも筆者の目を捉えた。
歩道の孤島 |
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歩道に佇むこの建築物。
恐らく、以前は左側に存在していた建物のファザード兼バルコニーとして使われていたと推測されるが、現在は辛うじて歩行者の雨よけ兼日差しよけとして機能しているばかりである。
現在は、上に登る目的も手段もなく、その姿には与えられる名は『歩道の孤島』こそふさわしい。
超スケルトン |
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この建物はどう言う状況にあるのだろう。
- これから建設が進むのか?
- これから撤去されるのか?
- これで完成?
- どこが正面なのか?
- *今回は幅の狭い面を横顔としました
シンプルな構造だけに、給水塔、照明、分電器、階段、そして『鮮肉湯包』の露店、それぞれが持つデザインの味わいをしっかり感じる事が出来る。
あと、立ち入り禁止のパイロン(コーン)とロープがどれくらいの意味を持っているのかが気になってしまう。
もっとも、手すりのない階段は見るからに危険で、上に見るべきモノがないことも明白なので、登ろうとする物好き自体いないだろうが・・・
もし機会があればその後の様子を見てみたいが(所在地は記録済)、現在の姿以上に想像力を刺激する状態はないかも知れない。
- 道路側(東側/画像の手前側)に住居表示板を確認したので、これが正面と言う事がはっきりした。
また、その逆側(空き地側)には板が設置されたので、こちらが裏面と言うことになる。
ただし、2階は現在も利用不可能な状態となっており、完成形を想像することは未だに難しい。
スケルトン |
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重機を使えば数時間で解体できそうな建物。
何故このように中途半端な状態にあるのだろうか。
- ここから修復を行う?
- 権利関係が複雑?
- まだ利用している?
- *左側に接している建物と中でつながっている?
推測はともかく、外壁が存在しないため内部の様子が見えたり、屋上の給水タンクが存在感を示したりと、設計者や施主も竣工時には決して想像しなかったであろう横顔へと変貌を遂げている。
グラグラ・ファミリア |
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元々はバラック街だったのであろうか、個性的な建物たちが「無秩序の中にこそ調和がある」と主張するように密集する一角。
その中でもひときわ異彩を放つ存在がこれだった。
建物同士を隔てるのは「人が通るのがやっと」とか「自転車が通るのがやっと」と言う幅の路地ばかりなので、増床(増築)をするには上に伸ばすしか方法がないのであろうが、結果的に「何か深い意図を持って設計されたのでは?」と思わせるような造形が現出している。
筆者は、スペインのサグダラ・ファミリア(聖家族贖罪教会)と共通する未完成感と軽い狂気を感じたので、これを「グラグラ・ファミリア」と名付け、その後の変化にも期待して行きたい。
*ちなみに、筆者はサグラダ・ファミリアを訪れたことはありません。