琺瑯(ほうろう)看板 |
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台湾北端の港町で見つけた端正な横顔。
全体的に直線的なフォルムで、造りや色にも贅沢な要素は感じられないものの、決して地味一辺倒と言う訳でもなく、絶妙な端正さを感じるのは筆者だけだろうか。
現在はモルタルとサイディングで覆われているが、欄干のデザインは凝っているので、化粧の下には別な姿が隠されている可能性もある。
この横顔のチャームポイントは二階部分に掲げられている三枚の琺瑯看板。
適切な材料を使い基本に忠実に製造されたのだろう。
鮮やかな発色を保っており、錆びも見られない。
また、看板の全てが医薬品(売薬)の広告である事も特徴的。
医師の診療を受ける事は、費用的なハードルが高かった事が想像される。
シンボル |
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1927年、日本人信徒の為に建てられた教会。
『中山基督長老教会』や『旧大正町教会』のワードでWEB検索すると沢山ヒットするので細かい説明は省略するが、当時の最先端住宅地として人気を博した大正町のシンボルとして、その名に恥じない造りになっている。
正面(東向き/画像の左側/住居表示板と出入口がある)は崇高さと親しみやすさ兼ね備えた顔になっているが、この側面もそれに劣らないデザイン、材料、施工によって形作られており、まさしく見られる事を最大限に意識した横顔と言えるだろう。
現在(2022年)は周囲のビルに埋もれている感が強いものの、往時は周辺(庭付きの一戸建て主で、高くて2階建まで)から常に見える建物であったようだ。
また、日曜日に筆者が通り掛かると、結婚式を行うカップルやその参列者を目にする事もあり、台湾の若い世代にも人気があるようだ。
【補足①もう一方の側面について】
- 正面から見て左側(南面)になるが、付帯施設と塀により公道から見る事は出来ない。
【補足②(日本の寺社について)】
- 日本統治時代(日治時代)には、寺社(神社や仏教)の方が多かったらしいが、撤退後にほとんどが廃止されている
- 木造建築はシロアリ被害を受けて長持ちしなかったと言う要素もある
- 神社の場合は鳥居だけ残っている例も見られる
(右側上方を飛行機が通過する)
国家の横顔(*民主化前) |
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このコーナーでは(も)珍しく、有名な建物をご紹介。
1973年、国民党政権下における台湾(中華民国)の顔として建てられた圓山大飯店(ユェンシャン ダーファンディエン/まるやまだいはんてん)。
*英語名はThe Grand Hotel Taipei
*創業は1952年に台湾大飯店として
民主化後の2004年、高さ509.2㍍を誇る『台北101』が竣工すると、筆頭ランドマークの地位は譲ったが、中華色あふれる外観と内装で、2021年現在も独特の存在感を誇っている。
構造上の特徴は、(*1)東西南北どの方向から見ても、同じイメージに見える事で、特に台北松山空港にアプローチ(進入)する飛行機から壮麗に見える事を意識していていたと思われる。
良く見える席は(*2)通常の着陸経路なら飛行機の左舷側で、離陸時は右舷側になる。
(*1)北側は山になっているので、見える角度は限られている
(*2)通常は『西から進入、西へ離陸』だが風向きによって逆になる事がある
【補足】
- このホテルの敷地はもともと日本の統治時代に建設された神社(台湾神宮)で、政治的な要素が濃いと共に、風水的にも優れた場所であると言われている。
- また、南側(画像では右側)の部屋からは離発着を見る事が出来るので、飛行機好きにも人気がある。
白と青 / 青と白 |
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台北を代表するデパート街に近いビルで、子供用の自転車がロビーに置かれていたことから、恐らくマンションだと思われる。
白をベースに青をアクセントに加えたタイル、白枠の窓、上下を貫く柱状のガラスなど、正面との統一感があるデザインになっている。
また、屋上階の三角屋根にも「間に合わせ感」や「後付け感」がない。
基調は青、両面の白い縦線、小さい窓のシンプルなデザイン。
こちらは駐車場に面しているため、いつここに建物が作られても(隠されても)おかしくない。
それにもかかわらず、こちらも充分に見られる事が意識されており、窓の手すりや格子を含めて、単なるシンプルを超越した潔い横顔を見せている。
五叉路 |
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台北市内の西側にある、台北圓環(タイペイユェンファン)と呼ばれるロータリー型公園に面した建物。
ロータリーの中心部分は、日本統治時代の1908年(明治41年)に公園として整備されたもので、太平洋戦争中は防火用貯水池に転用されたりもしながら、1980年代までは台北有数のランドマークとして認知され、連日多くの屋台や人がここに集って来たらしい。
- *台北の繁華街はもともと西側(淡水川沿い)に多く、東側が近代的に開発されるようになったのは、地下鉄が開業した1990年代以降。
この建物も公園の竣工(1908)から日本が撤退(1945)の間に作られたと推測されるが、ローターリーに直結する五叉路に沿って立っているため、『ホールケーキを切り分けられたような形』で『正面(画像の右側/住居表示板がある曲面)と側面の区別がつかないデザイン』になっている。
- *現在はカフェとして使われており、保守状況は良好。
- *ロータリーの周辺を上から見ると、バウムクーヘンを切り分けたような形状になっている
- *周囲の建物の多くも、正面(ロータリー側)は曲面になっており、中には円柱形のビルも存在している。
その結果、『側面でありながら正面』と言う独特の景観を創り出しており、路上に置かれている屋台とのマッチングも絶妙な味わいを醸し出している。
白い居棟(しろいきょとう) |
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台北を代表するデパート街に建つ、駅近マンション(1階は店舗)。
竣工当時(1990年~2000年位?)は、まだまだ周囲に高い建物が少なかったのであろうか、どの方向から見られても様になるデザインが施されている。
ただし、画像の手前側も現在は駐車場だが、ここにビルがいつ建設されても全くおかしくない。
市場前の小さな森 |
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中山市場前の小さな広場(兼駐車場)に面した建物の横顔。
市場自体は画面左側の茶色いビル内(1階)に取り込まれているが、人々が集う場所の顔にふさわしく、若干の色褪せはあるものの、実用性(上部の目隠し効果)、芸術性、親しみやすさ等を兼ね備えたデザインとなっている。
また、画像にも写り込んでいる本物の植物たちを含めて、小さな森を形成している。
この市場は1890年代より続いているようで、現在の形になる前、露店や平屋が緑に囲まれていた時代の面影を残しているのかも知れない。
ただ1つはっきりしているのは、現在この横顔に注目する人は、筆者のような物好き以外皆無であるに違いない事だけである。
Yellow Tod (黄色いトッド) |
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美容室、ブティック、カフェ等が多い赤峰街(ジーフォンジェ)の中でも一際目を引く工業製品的な横顔。
ビル1階にある美容院の店名が"Yellow Tod"なので、それに合わせてデザインされたと思われるが、黄色のフレームが正面から側面(画像の右半分)まで延びている例は非常に珍しい。
また、画像の左半分も色合いは地味だが、近未来的なテイストで黄色と穏やかなアンバランス感を醸し出している。
青い部屋 |
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高齢者福祉センターの側面に突然現れる青い部屋。
通常だと、前の木をなるべく避けて写真を撮るよう工夫するのだが、この建物に関しては「この緑があることを前提にデザインされたであろう」と感じたので、敢えてど真ん中に入れみた。
もう一つの特色は、描かれている絵が建物の外観でなく部屋の内部と言う点で、見る者を誘っているような表情を見せている。
パリのアパルトマンが出現? |
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一見、フランスはパリのアパルトマン(集合住宅)っぽいけれど・・・
近づいて見ると、窓や店舗が絵であることが分かる。
いわゆるだまし絵だが、「ひとつひとつの窓の奥に生活があるのでは」と錯覚させるレベルで描かれている。
完璧(なのには理由があった) |
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設計、材料、施工、保存状態、ロケーション、全ての要素で完璧だと思ったら・・・
元は倉庫だったものが、場所の移動(建物ごと東へ50㍍スライド)を含めて全面的にリノベーションされ、展示とショップの複合施設に生まれ変わったらしい。
台北駅からも近いので、「台北駅周辺でちょっと時間が余っている時に訪れるスポット」として、選択肢の一つに入れるのも悪くないかも。
【検索キーワード例】三井物産株式会社旧倉庫、三井物產株式會社舊倉庫
実質的に正面??? |
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長屋形式の店舗用建築の一端を撮影した。
正面(画像の左側)よりも広くて人通りも多い道路(以前は鉄道の線路だった)に接しており、実質的には正面と言えるパターン。
台北市内の飲食店(2020)
台北 赤峰街
台北 赤峰街
化粧直しで若々しく |
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長屋形式の店舗用建築の一端。
屋根の形や窓の配置がもともと美しく、化粧直しをすることでお洒落なカフェに変身している。
【壁面の一部を拡大】
- 面倒くさがりのギャルソンが二階からコーヒーを注いでいる。
もしかして、わざわざ2Fまで上ったのかも知れない。
それより、このままだとカップから溢れてしまうのでは?