【 始めに 】
あくまで個人の検証で、一般的な説とはかなり異なります。
もんじゃ焼き。
中央区の月島(つきしま)の『もんじゃストリート』を筆頭に、東京のB級グルメとして確固たる地位を確立しており、『もんじゃコロッケ』や『もんじゃ煎餅』などの派生製品も多い。
ただし、料理としての歴史が比較的浅い(太平洋戦争後の)割に起源が分りにくく、定説を聞いても腑に落ちない部分が多いので、筆者独自の視点で検証してみたい。
【駄菓子屋(太平洋戦争後)について】
- 太平洋戦争(1945終結)後に、『未経験でも、一人でも、体力が無くても、元手が少なくても、自宅の一部で始められる商売』として開業するケースが多かったと思われる。
- 基本的に菓子や玩具を問屋から仕入れて売るが、中には飲食スペースや更には簡単な調理設備を持つ店もある。
【裏付け資料】
- 都立中央図書館で見た東京の暮らしに関する書籍に掲載されていた【昭和30年代の月島の駄菓子屋子供が焼き上がったもんじゃを食べている様子】の写真より
- ①鉄板に縁(フチ)がない
- ②子供3人組で鉄板を囲んでいる
- ③お好み焼きともんじゃ焼き両方がメニューにある *パンもある
【文字焼き(もじやき)について】
- 江戸時代、水溶き小麦粉を杓子(お玉)から熱した鉄板の上に垂らして、動物や文字などを描いた焼き菓子を売る店(主に屋台)があった。
- 元々は職人(大人)がその技を競っていたが、やがて【子供に自分で焼かせるスタイル】も出現したようで、子供との縁が深かったことは間違いない。
【仮説】
- 駄菓子屋で子供達が『お好み焼きを水増しして』食べたのでは?
- *一人前で複数が長時間粘れる方法
- *味の薄さはウスターソースで、量の少なさは駄菓子屋で買える混ぜもの(代表例:ベビースターラーメン)で補う
- *豪華にしたい時は切りイカなどをまぜた?
- *商売的には好ましくないが、手が足りないし子供相手の店なので店側も黙認→徐々に正式なメニューへ
- 調理の最初に『土手』を作るのは、縁(ふち)のない鉄板から汁が流れ出さない為の方策では?
- *縁(ふち)がある鉄板の場合、土手は必ずしも必要でないと思われる。(実際に土手を作らず広げる店もある)
【筆者の結論】
- 発祥
- 『駄菓子屋でお好み焼を子供が水増し』したもの
- 料理名
- 『文字焼き』からのすり替わり
- 飲食業上のオペレーション
- 『半完成品を提供して、客に焼かせる』もの
- *ただし、流儀に沿わないと怒る店もある
- *一方で、観光客など馴染みがない客が多い店では、店員が焼いてくれる所も増えている
- 発祥について分かりにくい理由
- 大人が関与しない『おやつ』の延長線上で自然発生した『料理のようなもの』なので、記録が非常に少ない。
【補足】
- もんじゃ焼きは【B級グルメ】に位置づけられる事が多いが、豪華な具材を使ったメニューが続々と開発され、高級化も進んでいる。
- もんじゃ(焼き)、お好み焼き、鉄板焼きの三種(あるいは二種)が相乗りしている店も多い。
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三種類を提供している店の看板と日除け / 東京都区内 / 2025年9月
改訂 2025/9/21
初出 2025/9/14