Y字路 |
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野柳漁港(イェリィゥ・ユーガン)へ続くY字路に佇む三角屋根。
*画像手前方向に海が見える
野柳は近年、奇岩が並ぶ海岸がある観光地として認知度が上がっているが、それ以前から漁港や海鮮料理店街として賑わっていたようだ。
この三角屋根は、変形した敷地、モノトーンの壁、低い背、少ない上に小さい窓など、周囲の建物とは明らかに設計や建築方法が違っている。
恐らく、「手っ取り早く低いコストで雨風を凌ぐ」と言うシンプルな目的を、最短距離で達成した答が、この形だったのだろう。
また、Y字路の常として、以前は左右どちらか(あるいは両方)の道が、水路だった可能性もある。
崩壊中 |
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台北駅近く。
問屋街に埋没する三角屋根の廃屋。
どう言う用途で使われていたのか、正面から見ても推測できないほど崩壊が進んでいる。
商業的価値の高いエリアなので、このように廃屋を放置して土地を遊ばせておくケースは珍しいが、建築材料や工法(質の低さ)を知る事が出来る。
また、周囲に写り込んでいる建物も、それぞれの時代、工法、建設時の制約等による特徴的な側面を見せている。
- こちらも、年代、材質、規模、工法とバラエティ豊富な表情を見せている
向こう側は長屋が続いている
右側(北)が道路に面している
*公園のエリアからは除外?
保存される眷村(けんそん/ヂュァンツゥン) |
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正確な翻訳ではありませんが、眷村=『バラック村』と解釈するとイメージが湧きやすいと思います
かつて酒工場があった場所の南側に残る三角屋根の住宅群。
他の眷村と同様この三角屋根たちも消滅する運命にあったものが、公園として残されることに決まったようで、その名は<幸福百年「米道」>。
周囲の道が東西南北に向かって延びている中、ここだけ北東から南西へ斜めになっているのは、建物に描かれた稲の絵や<米>の文字から分かるように周辺はかつて水田で、現存する道路も水路や農道の名残であるからだと推測される。
公園化されるにあたり、建物の大部分は撤去住みのようだが、眷村の構造的な特徴を想像するには大いに参考になる。
- 外周は建物で囲む(防犯/警備上の理由)
- 同じく外周に店舗が設置される(外部の人も買える)
- 内部には平屋で三角屋根の住宅が密集
- *2021/8/1時点でのGoogleマップ画像(2020年6月撮影)では周囲が建物で囲まれていた事が確認できる
つまり眷村とは、決して快適とは言えないものの、移民達が当時利用できた土地や資材を最大限に活用した、一種のコンパクトシティであったと言えるであろう。
眷村(けんそん/ヂュァンツゥン)の商店 |
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台北市街地の東端にたたずむ三角屋根の商店。
正面から見て左右両方の表情を撮影出来たので画像を並べてみた。
左側は古いながらも商店らしく管理が行き届いるが、右側は植物に支配されかかっており、説明なしで画像だけ見た場合、同じ建物とは思えないほどテイストに違いがある。
これに隣接する住宅地も眷村(けんそん/ヂュァンツゥン)としての特徴を備えており(同時期に急造されたと思われる三角屋根の平屋が一区画に密集している)、想像力を少し働かせれば往時の賑わいもイメージ出来るが、ここでも時代の流れによる取り壊しと撤去が進行中だった。
消えゆく眷村(けんそん/ヂュァンツゥン) |
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台北駅の西側に位置する一区画で取り壊しを待つ三角屋根の住宅。
ここは恐らく眷村(けんそん/ヂュァンツゥン)と呼ばれる、1949年から1960年代にかけて大陸からやって来た移民のために急拵えされた、簡易住宅地区の一つだったと思われる。
周囲にはすでに空きスペースが広がり、あと半日でも遅ければこの姿は撮影出来なかったかも知れない。
と、事情に疎い筆者はついつい感傷的な見方をしてしまうが、眷村はとにかく短工期、低コスト、高密度を最優先して場当たり的に造られた物。
現代の台北中心地における土地利用としては、極めて非効率であることは明らかである。
古い地図を見ると、この一角は清の時代から何度か変化を遂げてきたようなので、これからも変化して行く方が自然なのであろう。
- この眷村内にはかつて牛肉麵の店が軒を連ねる通りがあり、観光客向けにも<牛肉麵ストリート>として紹介されいたようだが、その多くは現在(2021年)、大通りを挟んだ南側に移転した模様。
- これらの店の特徴としては、次の点が挙げられる。
- ①口頭注文
- ②代金前払いか商品引換払い(キャッシュオンデリバリー)
- ③値段が安い
- ④サイズが選べる(大中小)、
- ⑤相席が普通
- ⑥専業店が多い
- つまり、中国本土からの移民(1945年代?)が持ち込んだ当時のスタイルが強く残っているようだ。
- いずれにしろ、牛肉麵が困難な移民生活を支える活力源であったであろう事が想像出来る。
- <その他考察>
- 中国語でオーダーして、注文の品を受け取るときもアピールする必要があるので、観光客には利用しにくい
- 牛肉麵のルーツは四川省と言う説が多い
- 台湾では牛肉を食べたり牛乳を飲む習慣がなかったようだ(農耕用の位置付けで、種類も水牛に近い)
店の修理の方が先決のように見えるけれど・・・ |
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ビルに囲まれて肩身の狭い印象で狭い店内に人影はなかったが、店頭(画面の左側)に自転車と警察のスクーターがそれぞれ数台並んでいる所を見ると、修理の腕は確かなようだ。
スクーターや自家用車が普及する前の台北では、移動手段として自転車を使う人がもっと多く、この店も沢山の修理や整備依頼で毎日てんてこ舞いの忙しさだったのかも知れない。
水田地帯の三角屋根 |
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台湾の宜蘭(イーラン/ギラン)は台北の東方向へ電車で約1時間半、自動車なら1時間強で行ける街で、中心地を離れると畑や田んぼが多い。
台北市内では肩身が狭い印象の三角屋根の平屋も、高い建物が少ないこの地域では青空を背景に撮影することが可能。
低い三角屋根は風雨、特に台風の被害を少なくするため、自然とこうなったのだろう。
そして、冷房が普及していない時代、厚い壁と小さな窓は照りつける太陽の熱と光が内部に入るのを防ぐのに有効だったであろう事を実感させる。
三角屋根と小さな塔 |
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繁華街の谷間に佇む三角屋根と小さな塔の組み合わせ。
交通の利便性以外に快適な要素は見当たらないが、現在も人が住んでいるようだ。
建物的には左側の「塔」が珍しく、画像的には「消火栓のど真ん中感」と「オートバイのミスマッチ感」が楽しく、撮影的には「狭い空」を入れるのが難しかった。
とにかく道幅が狭く消防車は恐らく入れないので、消火栓はこれぐらい目立って丁度良いのかも知れない。